発症後の改善策1 基本的な注意点

1.音楽家ジストニアは、脳に問題があるが、病変はない。非常に高度なレベルの演奏を何年間も続けた結果、脳が持てる力を最大限に発揮し続けて、極限状況にさらされてきた特殊な状況において、いくつかの間違いが脳に取り込まれたということ。体系的な練習によってジストニアを発症したのだから、適切な体系的練習によってジストニアから脱することができる。

2.失敗したフレーズを繰り返し弾くべきではない。同研究所のデータでは、症例の66.8%が、発症を最初に自覚したときに行っていたのは、練習量を増やすことだった。特殊な動作を集中的に練習すると、機能不全状態が定着して代償パターンが出現しやすくなる。
 練習時には緊張せず弾けるよう、テンポを遅くする、フレーズを単純にする、リズムや順序を変えるなどの工夫をする。
 非常に遅いテンポで望み通りの自然な演奏ができるようになると、次第に速いテンポで、複雑で音楽的な演奏ができるようになっていくという。

3.ジストニアに罹患すると、練習時にも演奏時にも、どこかで、起こって欲しくないこと、間違いを避けることに注意を向けるようになる。そしてコントロールが難しくなる。
 避けたいことではなく、目指すことに意識を集中するのが最良の方法。

4.間違いを許す。ヘタな演奏でも、音をコントロールできなくても、コントロールしようとしないこと。間違わないようにしようとして、自ら作り出した制限に縛られてしまう。どのように演奏するかではなく、どのように感じるか、音を出す前に自分のしていることに意識を集中する。

5.緊張の原因の分析。

6.忍耐を持つこと。

7.多くの音楽家が問題を解決していると、知っておくこと。

ジストニアの予防対策

 テラッサ研究所のディレクターらは、これまでの研究結果に基づき、ジストニアの発症を予防するために、音楽家が考慮すべき内容を以下のようにまとめた。

1.技術的な上達を目指すだけでなく、心身全体に注意を払うべきこと。楽器演奏に関する衛生概論(姿勢、人間工学的適応、準備運動と整理運動、頻繁な休憩)の確立。演奏向上を反復練習だけに特化せず、可能なら心身を組み合わせた学習方法を具体的に取り入れること。

2.負担の程度を意識し、負担を減少させる方法を学ぶこと。特に、手の代わりに胴体や腕を動かしたり(上腕、前腕の回旋、肩甲骨の回旋、頭と脊柱の使用)、呼吸法を適切に行う。音と音の間で筋肉をリラックスさせ、演奏とは関係のない身体の一部分に独立して筋緊張を起こす方法なども役立つ。

3.解剖学的な制限に立ち向かったり、他の音楽家と競ったりしない。身体に害を及ぼすまでに負荷をかけてしまうという強制的な償いを避ける。

4.効果の上がらない練習方法に固執せず、他の方法を探して、練習時の姿勢や演奏方法を検討したり、奏法の変更を取り入れて、反復動作を控える。

5.同時に動かす動作や速すぎる動作など、大脳の識別能力を超える曲の練習は、大脳皮質の機能局在を損なう可能性がある。これはジストニアを発症する前に起こるひとつの節目と考えられている。これを避けるために、この種の練習に他のパッセージ(楽句)を取り入れたり、他の奏法に置き換えるなどして、一本一本の指の感覚を区別できなくならないように配慮すべき。練習の中に、感覚識別訓練を取り入れることも選択肢の一つ(具体的には、2−3本の指、4−5本の指を使って、点字を読んでみる)

6.神経伝導障害の場合は、機能障害が完全に治るまで演奏をしないか、激しい演奏は控える。

7.特定のパッセージや演奏動作時に、緊張、こわばり、協調運動の障害や困難といった感覚が現れる場合は、その演奏に固執しない。テンポの遅いパッセージを練習し、手やマウスピースをリラックスさせておく。うまくいかないことを繰り返したり、新たな緊張や代償性動作に抵抗してはいけない。

変化4 運動プログラミングの欠陥

 音楽家ジストニアにおける奇妙な特徴は、発症の非常に強い特異性と言われる。例えばギター演奏で、上昇音階のアルペッジョは非常に困難なのに、同じ押弦位置と指の組み合わせで、同じ音で構成された下降音階のアルペッジョは問題なく演奏できる場合がある。また、あるギターを演奏すると発症する運動障害が、別のギターでは発生しないことがある。
 そのため、発症は単純で個別的な動作の実行で生じるというより、ある決まった手順の動作において実行が困難になる、運動プログラミングの組織化における欠陥だと推測する研究者もいる。

変化3 不適応可塑性

 一般に大脳の可塑性は、新しい運動能力を習得するための、神経系の有益な適応過程とみなされている。しかし、変化のすべてが最終的に有益であるとは限らない。
 特に音楽家が、同時かほぼ同時に行う精緻な複数の動作を含めた、複雑で同じ内容の反復練習を脳に強いた場合、過剰な可塑性(脳組織に変化を取り入れやすいこと)がむしろ問題になる。
 音楽家の場合、不随意な動作が発生してしまう理由の一つが、感覚・運動機能局在の無秩序な再組織化であるという。

変化2 感覚野と運動野の結合ミス

 長期的に繰り返し手を使用すると、感覚情報を収集するニューロンの端末と大脳皮質の各領域とのつながりや、大脳皮質の運動野、感覚野、聴覚野の機能的組織化に変化が生じる。楽器演奏の知覚を司り、動作を命令する皮質ニューロンの数が変化するためで、演奏に熟達していくためには必要で正常な過程だ。
 しかし、この適応過程は、音楽家にとっては最大の効果を挙げた時点では停止せず、一本の指の感覚を司る大脳皮質が、ほかの指の感覚を司る皮質野と最終的に重なってしまい、有益な過程が結果的に不適応的過程になってしまうことがある。
 隣接する2本の指の皮膚を同時に反復刺激すると、大脳皮質内の各領域が融合して区別がなくなり、互いに重複することがわかっている。ほぼ同時の指の動作を伴い、反復的で広範囲にわたり、正確で意図的で動きが早く、負担のかかる訓練は、2つの刺激を個別に認識する脳の能力を超えてしまい、最終的に大脳皮質の機能局在を揺るがしてしまう可能性があるというのだ。
 感覚系の変化は運動パターンを変更させ、最後にはこの変更が感覚系組織を新たに変化させるという理解が成り立つ。

神経・筋組織で発見された変化1 抑制メカニズムの欠損

 筋紡錘から大脳皮質の介在ニューロン(感覚ニューロンから運動ニューロンへ刺激を伝達する)まで、神経・筋組織での様々な変化のうち、音楽家ジストニアについて科学的発見が集中しているのは4つの分野。①抑制機構②情報処理と統合③神経可塑性④運動プログラムの活性化。

 ①抑制メカニズムの欠損
 運動系は、動作を正確かつ円滑にコントロールするため、種々の抑制機構を利用する。神経系が正常に機能するためには、神経回路の興奮と抑制のバランスが不可欠だ。一本の指が独立して動くためには、その指の動作を司る筋肉を選択的・特異的に収縮させ、その指とは無関係の筋肉の収縮を抑制しなければならない(周辺抑制)。
 ジストニアは、拮抗筋の共収縮と、不適切な筋肉の過剰収縮を特徴とするため、音楽家は不必要な筋収縮と動作の干渉なしに、必要な運動指令を出すのが困難になってくる。この時の大脳皮質の活性化状態を、健常者の音楽家と比較すると、ジストニアを患う音楽家の活性化レベルの方が明らかに高い。音楽家は、演奏困難な場合、それを練習不足のためと考え、適切に演奏できない部分を強迫的に反復するので、ときに動作の障害を固定化してしまうという。

原因5 神経伝導障害

 末梢神経の伝導障害が、ジストニアの発症に大きな役割を果たしていると言われる。ジストニアを持つ音楽家の40%に尺骨神経障害がある、とチャーネスは指摘した。この神経障害は演奏中に薬指と小指の不随意な屈曲が起こる音楽家の77%に存在するとし、チャーネスらは、末梢神経障害が中枢神経系での変化を誘発し、その変化によって運動制御の障害が起き、そのまま維持されるという仮説を立てた。
 この仮説は、健常被験者で末梢神経の伝導障害が大脳皮質の興奮性に関する変化を誘発する、という事実によって裏づけられるという。
 一方、テラッサ研究所は「この関係をまだ確認できていない」と述べる。同研究所で治療した音楽家79名についての神経伝導治験では、患者中85%には電気生理学的な異常は認められなかったといい、残りの15%には伝導異常が認められたものの、その部位は肘の尺骨神経7名、手首の正中神経4名、第6頚椎の神経根1名だった。
 それにより、同研究チームは、末梢神経伝導障害で生じるとみられる感覚情報の変化と筋力低下が、ジストニアの引き金になるとの説には賛成だが、発症の主たる原因とまでは言えないとしている。