時間の中の身体

東日本大震災から3週間が過ぎた。
その時間のなかで、さまざまなことがあり、多くのことをしたようでもあり、何にもしなかったようでもあった。
作家の高村薫さんは、いま私たちが経験している「時間」と身体について、こんなことを書いている。
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地上の営みをある日突然根こそぎにする地震津波は、誰にとってもつねに究極の非日常ではあるが、それがもたらすさまざまな喪失は、けっして元通りに回復されることがないまま、時間とともに人びとの心身に沈殿し、常態化してゆく。
そうして、喪失のただなかにいる被災者も、それを眺めているほかはない非被災者も、(中略)震災前とは違ってしまった時間を、ともかくも生きているし、これからも生きてゆくのである。
無力感や悲嘆に沈んでいても、骸(むくろ)のようになっていても、時間は生き残った人びとのものである。仮に時間がほとんど止まっているように感じられるときはあっても、心身はけっして死んではいない。
むしろ、生きるための力をいま一度蓄えんとして自発的に調整しているのであり、健康でさえあればいずれ身体が動きだすときは来る。従っていまは、心身の求めるままに泣き、怒り、ぼんやりするときであろう。(読売4.4付け)